摩天楼に 月は見えて隠れて

ラヴパレードが最近すきでよく聴いているのだけど、2番の誰かさんのソロはなんであんなにミュージカル調なんだろうね?ひとりで感情高ぶっちゃったのか・・・このまま踊りだすのか・・・。他4人がとってもかわいくてときめきを運んできてくれるから余計そわそわします。(自担を甘やかすべからず、なのである)
さくのことを何かと話題にしてくださるにのあいのおふたりが、「しょおちゃんなんでもやってくれるからね」「こころがつよいからね」「器がでかいから」と言い合うシーンはとてもぽわぽわした気持ちにさせてくれます。わたしは最近のこんび担ブームからはだいぶ遅れを取っているうえに、最大派閥であるににょあいが得意ではない、というたぶんめずらしい性格なのですが、実際彼らにはお世話になっている面もあるのよな。それは否定できません。得意でない理由は簡単に言ってしまえば単なる嫉妬なので、いつかは慣れるかもしれないです。それはそれでさびしいけどなー いつまでも「まーたにのあいやってるよ」くらいの距離間でいたいぜ・・・
 
昔からとてもすきなblogを書く方がいらして、その方は嵐担ではないしお会いしたことはもちろんお話したこともないのだけど、わたしにとって“担当”というものを意識するようになったのは彼女の影響なのです。というわけで久しぶりに読みにいったのですが、んーやっぱりいいなと思った。でもそうやってもろに影響受けてるのもどうなのよ、という。憧れではあるけれども、自分がそうなってしまってはいけないなと思ったのです。それってただの真似でしかないし。それじゃあわたしがもがいていることも意味を成さなくなってしまうんじゃないかと。
「すき」のかたちはいろいろあって、人からしてみれば「え、そんなことで?」っていうことで簡単に離れてしまったりもするしね。けじめのつけ方にもまた種類があると思うのですが、とりあえず“逃げ道をつくる”ことだけはしたくない。この3年くらいとても仲良くしていた友だちが、逃げであることを自覚しながらそっちにのめり込んでゆくというなんとなく納得できないかたちで降りていったのですが(そういう報告はないけれど、この差があっていまもまだこっちが本命だなんて言ったらむしろ許せない)、“逃げ道”ということを意識しながら口では大切だとか言ってみちゃったりするのって、とても失礼な話だと思う。大切なら暗号使ってでもそのあいを示してよ・・・!と思うわたしはきっとただの中2厨です。